昭和五十七年十月十八日 朝の御理解


御理解第八十八節 「昔から、親が鏡を持たして嫁入りをさせるのは、顔をきれいにするばかりではない。心につらい悲しいと思う時、鏡を立て、悪い顔を人に見せぬようにして家を治めよということである」


 田主丸のひまわりというベビー洋品店がございます。むつやの今の社長の妹にあたります。昨日、参拝をしてまいりまして、この正月にクジを頂きましたのに。「腹立ちをすべて許して茄子の花」というクジを頂きました。今年はもうこれでいこうと腹に決めましたけれども、失敗ばかりして、なかなかそれが、とりわけ主人の場合である場合なんかは、もう、すぐ爆発してしまって出来ませんでした。
 ところが、先日お参りさせて頂いて、親先生の身体が大変悪いということを聞いて、一時からそういう特別御祈念があっておるというような話を聞かせて頂きまして、改めてこのことを、親先生の病気平癒の為にと思うたら、今まで、正月から思うて来たようなものではない。まあ腹の底から力が出るね。これ、親先生の為ならこれを実行していくことが出来ると、こう確信のようなものが出来たというお届けを致しております。
 めったに参ってもまいりません。ただ、母親の熱心な信心で、子供の時に連れられて参って来とったという程度であります。やっぱ、何とか親先生との関わり合いというものを、いつも感じてはおるけども、信心出来ませんでしたけれども。今度のは、本当のものらしい。正月からずうっと思い続けて来たことでしたが、なかなか出来ませんでしたけれども、今度はね、こう確信を持って、このことに取り組まれるように思うというのであります。
 まあ、今日の御理解で言うと、「人に悪い顔を見せぬように」とこう言うね。と言うだけではなかなかもって出来ません。ああ今年はこれで行こうと思うてもなかなか出来んけれども、そこに一つの切迫した感じとでも申しましょうかね。それが、大してこう、なら身近ということではない。ただ、なら子供の時からお世話になっとる合楽の親先生と。別に熱心に信心がどうということではないけれどもですね。そこに、私は神様に喜んで頂けれるということになってくる時に、神様が力を与えて下さるように思いますね。
 今まで出来なかった修行が出来る。なら、たとえば御信者であるその西貝文香という若い婦人がですね。正月からそのことを頂いておったから、腹に決めたけれど出来なかったけれどね、親先生という、そこに対象が出来た。親先生の健康の為にというものがそこに出来る時に、いわゆる確信のようなものが、これならば出来ると思うたという話を聞いて、まあどういう私と文香さんとの間の関係というものが、今聞いて頂いたようなことからですけれども、結局あの、神様が喜んで下さる。
 先だって、林さんがね、親先生が具合が悪うあんなさるから、もういよいよ黙って治めるということ。しかも、にこやかにこれを実験実証していこうと思うたら途端にね、三十九という数字が出て来た。もう神様が御礼を言うてござる思いであったと。確かにそうですね。
 なら、文香さんが思われたというもの、これが商売繁昌の為に黙って治めようとかね、誰か只自分を中心にしたことから、今年はこれで行こうと思うても出来なかったけれども、神様が喜んで下さることに、ここに焦点を置いて腹を決めたら、それこそ盛り盛りと下から湧いてくるものね。確信のようなものが出来てね。おかげで、いわゆる正月に頂いたね、「腹立ちをすべて許して茄子の花」という、まあそういう信心から、安心のおかげもまた頂けることだと思いますがね。
 人に、こう悪い顔を見せるなと、言われただけではなかなか出来ません。けども、そこに一つの焦点をおく。その焦点もまた、神様にこれなら喜んで下さるというような実感というか、そういう高度のところへ、願いというものが置かれるところから出来るというのは、神様が喜んで下さるから、その氏子の心に特別な働きを下さるのではないでしょうかね。
どうぞ。